2. 男の面

 清須から北に三十町あまり、生駒屋敷からは南西に二里ほどの所に下津の郷がある。そこには正眼寺という禅寺があった。既に廃寺であるのだが、境内は他所よりは幾分もりあがった地形の上に辛うじて残る。外周は何時の時代に造られたのかも判らぬ堀切りの跡と、それを覆い隠すような深い藪が生い茂り、昼間でも境内には陽があならない。そのせいもあって、近くを流れる五条川から吸い込んだ湿を払えず、至る処に小沼が出来上がっているという有様であった。まさに物の怪でも棲まうような異様な要害と化しているのである。

 実は、その正眼寺より少し南に降った清須の領内で、付け火の騒ぎが起きたのが二日前。そう_義龍あらため"范可"と号した新しき美濃の主が覇を唱えたその日の内に、尾張上の四郡の守護代である岩倉の織田伊勢守信安が、それに呼応した事を示す威嚇の放火を行ったのである。この清須方の本拠内での付け火は、その未だ不安定な統制下にある下の四郡の領主達にも瞬く間に引火していく事態となった。

 その岩倉伊勢守の隠蔽された拠点を払わねば、漸く纏まりかけた尾州八郡の各在地の領主が、斎藤に、はたまた東の今川といった具合に靡き、尾張はその国内で幾重にも分断されかねない。そればかりか、清須の町衆の不安はいずれ形となり、清須方は足下から掬われるという事態さえも起こりかねなくなったのである。

 二人は其れが正眼寺だと早くも視ている。が、そうだとすれば岩倉方は何時でも自軍の戦域を清須方の懐近くに拡げる用意がある事を意味する。
「それだけは阻止しなければならぬ」

のであったが、清須の軍は今、多くの直属の士卒を失ったばかりであり、岩倉方と雌雄を決する体力を失っている。かと言って、このままでは清須方は、横腹に槍を突き立てられるも同然となるのである。先ずは状況を見極め早急に策を講じなければならない。しかし、それなりの間者など放って小競り合いにでもなったら、瞬く間に戦火は拡大してゆく。あくまで秘密裏に情報を入手し、虚を突く作戦行動を謀らねばならないのである。
「敵に刺激せずに様子を窺うには・・・」

_なのであった。

甚介も、八右衛門は何かと目に掛けてくれる恩人であるし、またその長子(正確には次男)の平蔵とは、共に寺で師資相承の修学練行をかさねる修道の友である。また将右衛門にしても、殆ど家人同然に生駒の屋敷に寄宿しているし、恐ろしげな相貌からは想像できないほど、道理をわきまえた御仁である事も承知している。その大人二人に、じつに真面目に寺跡を密かに探って欲しいという事であったから、断る理由など特になかった。

「承知致しました、では早速」
甚介はそう応えると二人に一礼し、立ち上がった_その時である。今まで眠っていた黒ずくめの若い男が勃然と立ち上がり、小唄を歌い始めた_


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