_随分と遡る
弘治二年 春(A.D.1556)
木曽川流域
群がり寄せる波濤の如き新手に、一塊であった士卒が秒刻の間に易々と呑み込まれてゆく
「先手衆、山口取手介、土方彦三郎、討ち死に!」
「左翼は既に延翼しきっております」
母衣衆の挙措進退は此の期に及んでも胆を極めている。右翼側は木曽川によって敵の横槍を防ぎ戦線突破を免れていたが、左翼とそれを支えに入った中央は為す術無く、もはや群像と化している。
戦力が_数が違いすぎていた。
「新手が二十町先にも迫って御座います、その数凡そ五千!」
その報を暁光の如き眼差しが受けると、それは帷幄の後方に向けられた。潰乱寸前の直中に、辻ヶ花染の小袖を着た謀臣、岩室長門守が落ち着き払って応えた
「恐らくは・・・」
「で、あるか」
長門守の口上の後を続けるように、彼は瞑目し短く合掌した。陣中に控える士卒らも、それが何を意味するかは分別できたが、是ほど早くにとは_思わなかった様であった。
「退く!」
低く荒々しい恫喝声が響き、それは猶も続けた
「急ぎ、川並衆に大良口よりの全軍渡河の報を伝え、まず手負いの者、牛馬から対岸に退かせよと」
「汝らはその後である。くれぐれも急いて退いてはならぬ!」
「殿(しんがり)はこの上総介信長がおひき受けする故、皆々、ゆるりと退けぃ」
蒼白の諸卒の頬が一気に赤みをおびた。
そのとき、既に全身を乾いた血で焦がした武者が、関の名工兼定の十文字槍だけを光らせて敵中に単騎突進していった。
「十九めが」
森三左衛門可成。九指となったが故にそう渾名されているが、彼は河内源氏の系譜を汲む謂わば正統なる武家の武士である。そう言う意
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