当意即妙



孟秋



 半刻前まで人馬の暑気を払い、光陽を背に携えた柳影は、今は深紅に揺らぎはじめ、間もなく蒼黒と交わろうとしている。

「歳のころは十あまり・・・四、五か」
「何処ぞに奉公でもいくのであろう」
草履のゆるみを直す仁助は、右手から伸びてきた長短の二つの影の先をそう見切った。

 旅者や町人の影は既に消えて久しい。百姓らと牛馬の残り気を拾うだけが相応な夕映えに、人商人らしき下人と、この子女の姿は似使わなく映えて見えた。


 草井の渡しから清洲へ伸びるこの道は、承久の乱において鎌倉方が京へ上った道筋であるというが、この年の雪解けと共に漸次、領主らによって柳が植えられ整地されたばかりである。この国の最も長い内乱の直中に、こうして道が整備される事は珍しい事であったが、さすがに先刻の驟雨で所々抜かるんでしまっていたのである。しかし、一面の桑畑をつっ切って伸びる此の幅1間半(2.7m)を 兎にも角にも今は進むか戻るかしか無い、それは明かであった。

「急ぎなされ」
下人が、連れとは解らぬ程の先から急かすと、子女は強く頷いたが、その頬はすっかり紅色に染まっている。下人の地を掴むような足どりに比べ、子女のそれはまるで蟻のように、懸命ではあるが、あまりにもひ弱い。

「そこの旅の御方・・・。美濃から来たか」
張った声が響いた。この様な人目を憚る刻に、この者らの素性など乏しい想像で十分足りていたが、仁助は知らぬ振りで訪ねてみたくなったのだ。
しかし下人は仁助のそれを察したか、尚も急ぐような素振りの後にまた前を向き、歩み始めた。それと入れ替わるように子女の両の目が、僅かに仁助を追っように見えた。仁助は微笑み、そして続けた_。

「某、信長公御廻番衆、湯浅仁介直宗と申す」
「これより常観寺に用有って参るが、もし他用なくば立ち寄られよ」
下人の足どりを真似るように、子女の足どりが、ようやく止まった。
その幼気な両眼が振り返ると、道端には水牛角の拵えに覆われた十文字鎌槍がすっと立っていた。



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